2012年のロンドン五輪ボクシング・ミドル級で、日本人48年ぶりの金メダルを獲得。
また子煩悩でも有名で、長女が誕生した2014年には『ベスト・ファーザー イエローリボン賞』を受賞しています」
退後の2024年現在では世界戦の解説などで引っ張りだこの村田諒太さんですが、昔(若い頃)はヤンキーだった?
とのウワサがあります。
そこで今回は村田諒太さんの中学・高校時代など若き日の選りすぐりのヤンキー時代画像、
そして小6で家族崩壊した訳も探っていきましょう!
村田諒太が昔(若い頃)ヤンキーになった理由とは?
小6で家庭崩壊?
村田諒太さんは、両親が共に公務員の家庭に3人兄弟の末っ子として生まれました。
小学校6年生の時に両親が離婚したのだそうですが、『離婚後も同居』というかたちをとっていたこともあり、
家庭の雰囲気が気まずく最悪な状態だったのだそうです。
その為インタビュー記事の中では当時のことを「崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかった」と振り返っていらっしゃいます。
村田諒太の荒れた中学・高校時代
そんな息苦しい生活の中で、ちょっとくらいヤンチャでもしてなかったら、やってられなかったのでしょう。
以下が、村田諒太さんヤンキー時代まとめです。
中学時代:ボクシングとの出会い
家庭の事情もあり、喧嘩をするなどすさんでいた村田が金髪で登校したところ、
当時の担任であった北出忠徳教諭に視聴覚室に連れ込まれ「お前、何かやりたいことはないんか?」との問いに、
村田が「ボクシングやったら、やるわ」と答えたことがボクシングを始めるきっかけとなりました。
中学校3年生から大阪の進光ボクシングジムでトレーニングを始めるが、
授業にほとんど出ていなかったこともあって勉強は不得意で中学3年生時の通信簿は「1」と「2」だけだったという。
高校時代:徐々に頭角を現す
南京都高等学校に進学、高校初戦は黒星スタートであったが徐々に頭角を現し、
高校2年時で選抜・総体・国体の高校3冠を達成しましました。
きりっと男前なヤンキー時代。
ボールペンをタバコに見立てて、
かなりのイケイケヤンキーぶりを発揮していましたね!
村田諒太:東洋大学時代
高校卒業後は、東洋大学に進学します。一般入学ではなく、ボクシングでのスポーツ推薦。
同大在学中もボクシング部に在籍しましたが、日本選手権などでは優勝し国内では無類の強さを誇っています。
さすがにヤンキー時代の面影もありません。
そして大学4年生の3月に出場した北京オリンピックのアジア予選で1回戦負けを喫したことから、
卒業と同時に選手を引退して、母校の東洋大学にボクシング部のコーチ兼職員として就職しています。
村田諒太が昔(若い頃)まとめ
【顔画像】村田諒太が昔(若い頃)ヤンキーになった訳とは?イケイケ時代エピソードまとめ!
というテーマで纏めて参りました。
幼少期の両親の離婚が発端となり中学・高校のヤンキー時代を過ごしたわけですが、
結果的に2012年のロンドンオリンピックでの金メダル獲得の快挙を成し遂げるまでになりました。
壮絶な少年時代を乗り越え、栄光を手にしたわけです!
今後の指導者としての活躍も楽しみですね!
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